黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました

ランキングさん

 ずっとひっかかっていた記事があった。

 私も好きなノンフィクションライターの最相葉月さんが書いた「心のケア 切なくも強く」という寄稿。1月15日の読売新聞に、阪神大震災から20年を期して掲載されていた。

 いつも「人生案内」での回答は読んで面白くも的確で、『セラピスト』という大著をものにするためにご自身もセラピスト資格を取ったという最相さんの原稿に対して、正直、どう書いても言葉足らずになりそうで、ひっかかりを文章にできずにここまで来てしまった。どこがひっかかったか・・・最相さんの記事の冒頭から、少し抜粋して引用させていただく。

 「東日本大震災の被災地で心のケア活動に従事する人々の報告会を取材した時のことだ。福島県飯館村出身の臨床心理士が言った。『メディアが心のケアについて報じているのを聞いて、心のケアを受ける側になった私たち被災者は弱い存在なのだと切ない思いがしました』支える立場にいたはずの人間が突如、支えられる側に立たされた悲しみにふれ、私は、心のケアという言葉を聞くたびに胸が疼く理由を知った気がした」

 「ケアという行為はそもそも、ケアする者とケアされる者という不平等な関係を形成せざるをえない。それだけでも慎重を要する言葉」

  「人を『してあげる/してもらう』関係に分けることは切なく悲しい。だが世界有数の災害多発国である日本には、その切なさを知る当事者がたくさんいる。傷ついた人のそばにいて共に悲しむことができる支援者がたくさんいる」

 最後の一文については、本当にそうだと私も深く思うところだ。支援者は特別な存在ではなく、隣人なのであり、たくさんいる/いてほしいと思うし、被災者に限らず、犯罪被害者の方たちにも支援者に早い時期でつながってもらいたくて、そのツールとなる『被害者ノート』を仲間と昨年世に出した。

 ただ、それ以外のところ…「被災者は弱い存在」なのですか?「してあげる/してもらう」不平等な関係???つまり、支援者は強くて上にいる存在なんですか??…何だそれ。

 支援者が強い存在であるわけはない。これだけ地震が頻発する国で、「明日は我が身」と想像して共感できない支援者がいるとしたら、それはおめでたいとしか言いようがない。自分と変わりのない被災者に対して、どうして「私はあなたと違う」「強い」「してあげる」などと支援者が上から目線で偉ぶれるものか。犯罪被害もそれは同じだ。

 被災者も被害者も、日本列島の自然のありようや社会の歪みを国民を代表して受けただけの存在であり、一時的にダメージを受けたとしても根本から「弱い」存在では決してない。おのおの回復力もあり、それは支援者側と何ら変わらない。

 それに、支援者は被災者や被害者の横にいるものだとこれまで教わってきた。その言葉が示すように、「支える」ことは物理的には横か斜め下ぐらいからしかできない。上からだったら「支える」でなくて「持ち上げる」「ぶら下げる」イメージだ。

 例えて言うなら、沼の底に沈んでいる人に寄りそうためにいっしょに水底に潜っているのが支援者なのだろう。しかし、「この浮き輪を使ったらどうだ」「こっちの酸素ボンベを使ったらどうだ」と水の上から事態を分析して、何とか水底の人を救おうと指示を飛ばす専門家の救済者にもいてほしいのは確かだ。

 ただ、その場合も、救済者が「自分は上にいて、絶対に水に濡れることはない。自分は被災/被害に遭わない」と信じて、安全なところから被災者や被害者を研究対象のようにながめていられる意識だけでいたらダメなんじゃないかと思う。下に見られていることは、人は敏感に感じ取る。

  「切なさ」は、自分だけは被災者と違って強いと思い込んでいたのに、自分が弱いと見下ろしていた存在になったから、感じることなんじゃないのか。

 NPO法人レジリエンスがDV被害者向けに出しているワークブック『傷ついたあなたへ』の中に、「ランキングさん」の話が出てくる。こちらも少々引用させていただく。

 「ランキングをはずして楽になろう:世の中には目に見えないランキングシステムがあります。これを取り入れているランキングさんと、取り入れていない人がいます。ランキングさんは、自分がランキングでどの辺に位置しているのかが気になります(略)ランキングさんは他者の状態と自分の状態を比較することによって、自分のランキングを定めようとします。自分の価値観で生きているというよりランキングシステムにとらわれているような状態です」

 「ランキングシステムを取り入れていない人は他者と自分を比較して一喜一憂することはありません。ランキングではなく、違いとしてとらえるからです。どちらが上か下かではなく、こんな人もいればあんな人もいる、といったように考えるのです。相手の価値観も自分の価値観も大切にできる生き方です」

 「ランキングにこだわっている人に自分の経験したトラウマについて話をすると、ランキングのネタにされることがあります。それはシンパシー(同情)という形で表されます」

 そして、ランキングさんからの「二次被害」に関して、シンパシー(同情)とエンパシー(共感)の似て非なる点が比較説明されている。(以下、同情⇔共感の順で比較。尚、レジリエンスでは被害者を「☆さん」と表現する。)

 ・☆さんを『不幸』とひとくくりにする事で『不幸』を自分の日常から切り離す⇔大切なひとりの人がいま困っていると考える
・☆さんを上から見る⇔☆さんと同じ視線で考える
・☆さんを『不幸』と感じる事で、自分が不幸でないと安心できる⇔被害=不幸との発想にならない
・☆さんとは上下関係が形成され、☆さんには自分の不幸を恥じる気持ちが生まれる(二次被害)⇔☆さんとはフラットな関係になり信頼関係が生まれる 

 最後の「上下関係が形成され…」に注目せざるをえない。さらにもう少し引用する。

 「つまり(略)ランキングさんは(略)自分のランキングがその人よりも上であると思うのです。その多くは無意識に行われ、ランキングさんはよいことをしている気分になっているかもしれません(略)☆さんも『あんなにやさしい人なのに、なんでいつも会ったあとは気分が落ち込むのかしら』と混乱するかもしれません。一方、エンパシーを感じる人は、一人の大切な人が困っていると考えます。相手を下に見ることはありません」

 そして、ランキングさん対処法が本にはいくつか書かれている。その中に「どんなに有名な医者でも、長蛇の列ができるカウンセラーでも」ランキングさんだったら離れて良い、すたすた帰るのが自分を大切にすることになるとの指摘がある。

 また最相さんの読売の寄稿に戻る。「支える立場にいたはずの人間が突如、支えられる側に立たされた悲しみ」「私たち被災者は弱い」「切ない」との言葉…ランキングさんの引用を読んだ後なら、私の感じた違和感をわかっていただけたろうか。ランキングさんが被災者や被害者になったとしたら、被災/被害そのものとは別の、自分がランキングから転落したことについての余計な悲しみ(悔しさ)が大きくなり、自らの首をひどく絞める気がする。

 その転落した自分が認められず、「被害比べ」に走ったり・・・今度は被災者/被害者の中でランキングを作り、自分がその中での上位を占めて安心しようとする。しかし、被害比べは仲間同士で傷つけ合うことになり、一番やってはいけないと戒められることだと聞いている。

 実際に、被害直後の自分を「負け犬」と評した被害者もいた。その人は、今ではすっかり「ランキング地獄」から抜け出ているから、当時を振り返ってそう言えたのだと思うが。

 ちなみに、ランキングさんの「進化形」とも言える「ベキベキさん」について、本では説明が続く。この「ランキングシステムの上位に入る『べき』との強い信念を持っている」ベキベキさんが傑作なので、ご興味のある方は、ぜひこの『傷ついたあなたへ』(梨の木舎)を手に入れ、読んでいただきたい。