黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました

8月に思う・・「ヨコ」の社会を築こう

 ずっと書こうと思っていたが、 『嫌われる勇気』という、少し前に話題になった本があった。こちらはアマゾン。ベストセラーだけあって、すごい数のレビューだ。

 しっくりくる「まとめ」も発見。確かに楽になるんですよ。

 これまで色んな局面で私を重荷から解き放ち勇気づけてきた思想、その流れは欧米の哲学や平等の思想なんだよね、とざっくり思っていたけれど、この本を読み、アドラーだったのかと再認識させられた。問答形式でとても読みやすくなっている。登場人物の言い回しは、ちょっと知り合いを思い出した。とにかくおすすめだ。

 読後、個人的に思ったのは、なんと的を射ているタイトルかと・・タテ社会日本で「ひとりヨコ社会」を実践し、つまらないことでもああだこうだと独りよがりな良心に従って発言していると、タテ社会を体現するような、他人を抑え込みたい親分系(過去ブログにて「ランキングさん」として紹介済み)に速攻で「生意気」認定され、その親分→子分に嫌われるのは経験上確実なので、そう思った。

 そういう人に対しては、「いやいや、私は別にタテ社会で生きるあなたの地位を脅かす勢力争いを仕掛けているわけなんかじゃありませんって。ただ、思うことは言いたいだけだよ」とわかってもらいたいところだが、この本を読んだら私の意図するところもかなり伝わる・・かもしれない。

 駆け引きとか、自分のグループを作るとか、誰をこちらの陣営に引き入れるとか、まったく興味ありません。半世紀を生きてしまった私の人生は限られていて、時間の無駄だ~と思う。

 とにかく、民主主義の前提になるのは、個人がヨコ同士、存在として対等にあり、対等に発言できることだとの考えは強くある。「人の上に人を作らず」と福沢諭吉も言った。金子みすずも「みんなちがってみんないい」と言い、SMAPの「世界に一つだけの花」も大ヒットした。えっと作詞者は誰だっけ。槇原敬之さんでしたよね。

 互いを比べるのは争いの元。マウンティングとか、のし上がるとか、下剋上とか、上下関係はどろどろでキナ臭いばかりだ。そうでなく、ヨコ目線で互いを尊重する大切さ。この心地よさは皆がわかっているはずだ。

 その互いを尊重するためには「柔軟な『境界線』の上で外に向かって発言するけど他人の境界線にも踏み込まない」というスタイルがマナーなんだろうと思う。

 私も、言わないと何も自分の考えは伝わらないし、伝えようとしない自分に責任があると思うので、自らの腹の中を見せる意味で境界線上で発言するようにしているつもりだ。こういった物の数にも入らない発言だって、面白がって関心を向けてくれる人がいたら御の字だが、気に入らない人は鼻で笑ってスルーして、ご自身の境界線でもって跳ね返してくれて全然かまわない。

 大事なのは、万人が良心に従って自由に発言できることだと思う。他人の心からの発言に対して笑ったり、「黙れ」はナシ。誰でもこうだと信じることが言える国、言いやすい国。それが日本では弱いように思う。

 民主主義の国だと言っているけれど、内実は昔ながらのタテ社会が色濃く残っている国であり、末席から発言するのにかなり勇気がいる国だ。どこの組織に属しているかとか、肩書とか・・立場に拠っての発言ばかりで、個人としての思いが吐露できる社会になっていないように思う。風通しが悪くて、戦前のままではないのか。

 これも、滅私奉公が美しいとず~っと考えられてきたからなんだろうな、「私事」はハガキでも小さく書くぐらい、悪で・・。でも行き過ぎはどうだろう。往々にして個人が経験する問題は、実は社会全体で改善すべきことだったりするのだから。被害者の問題などは、典型的だと思う。

 過去を顧みて、組織の親分衆だけが発言し、「下々」や「女子供」が「上下の身分を弁えて」沈黙を守った結果、我が国はどうなったか。上の命令だけで滅私奉公の若者が無残にも多く死んでいき、他国の人たちまで殺すことになった、取り返しのつかない破壊をもたらした。

 「沈黙は金」なんかじゃない。個人が発言すれば将来損する国なんかではいけない。ツイッターを見ると、全国各地で展開されたデモに参加したある若者が、自由に発言できることの大切さを指摘していた。心強い。

 実は先の大戦で破滅的な戦いを推進した陸軍の中にも、中立国スウェーデンでの情報収集によってドイツが日本についている嘘を見抜き、対米開戦に反対する情報を送り続けた将校がいた。しかし、ヤルタ密約についていち早く知らせる電報を含む彼の数々の情報が途中で握りつぶされていたこと、主流派に歯向かう将校たちが前線に転出させられていったこと等々を見ると、上によって決まった方針・流れに対して、おかしい情報を上げられない、口にできない組織だったことがわかる。

 人間関係も外交も同じ。つくづく、独善はいけない。自分のやり方だけがベスト、自分(の国)だけが正しいとの思い込みは恐ろしい。だからこそ、ヨコの関係で腹を割って意見を交換し合うことが大事だと思うのだ、しかも境界線上で、自分だけの意見を押し付けることなく・・他人からヨコで仲間として意見を投げかけられたら、黙っていないで、ちゃんと意見交換するのが本当は必要なんだろうと思う。

 どっちが勢力下に入るかという、タテの権力争いを仕掛けられたら、いちいち相手に返す必要もないが・・また、反対に、こちらがヨコの仲間意識で意見を投げかけていても、先方にタテ意識が強い場合、こちらが発言していること自体が「攻撃」と受け止められ、「そんなこと考えてないのに」と痛くもない腹を探られて思わぬレベルで反発されることもある。日本というタテ社会でのヨコ意識での意見交換って難しいなあと、かなりの場面で思わなくもない。けれど、誰かに「ついていきます」じゃなく、本当に民主的に行きたいなら、言い続けることは大事なことだ。

 大輪のバラの花もペンペン草も。個人それぞれ、存在としては同等だとお互いが認めるような価値観の多様性が確保されて、各自の意見を安全に発信できること・・・やっぱりヨコの関係が民主主義の母であり、タテの関係は争いの土壌だと思う。普段から口を慣らし、いつでも誰でも言える環境を作っておけば、おかしい時におかしいと言え、戦前の社会への逆戻りを簡単にはさせないことになると思う。

 発言には責任が伴う。波風も立つだろう。でも、よりよい組織・社会のために発言するのは、その構成員の責任だ・・重いけれど、そう思う。