黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました

「ひよっこ」、被害者家族の物語

 NHK朝ドラ「ひよっこ」が終わった。脚本家も主演女優も続編に意欲があるみたいだし、続きがあるなら大歓迎。もっと見たいなと思う。家族で「また会~う日まで~」と歌っていたのだから、あるかな?
 
 この朝ドラについては、主人公の谷田部みね子は、特定の職業を目指すとか有名人の実話をベースにするとかではなく、普通の女の子であり、前回1964年の東京オリンピック頃の高度成長期の市井の人たちを描いた物語として視聴者の心をつかんだ・・・といったように言われているようだ。
 
 だが、私は、この物語を、被害者家族の奮闘記として見ていた。被害者が、事件に巻き込まれたことで、その家族がどんな状態になるのか、どう向き合ってこなければならなかったのか、それをやり過ごすまでに(この家族の場合は)4年間がかかったことを、珍しくもきちんと示した物語だと思った。
 
 最終回で、「悲しいこと」を新たな人たちとの「出会い」で乗り越えた、勝った、と主人公の叔父さんが言っていたと思う。もっと前には、みね子も「お父さんに起きた悲しいことを、無かったことにしたい」と口にしていた。やはり、この物語を通底して動かしてきたのは、事件被害という事実だったと思う。
 
 東京へと出稼ぎに行き、霞が関ビルの建設などに労働者として携わり、その賃金を家族へと送金しようとしたときに強盗に襲われた主人公の父は、頭をひどく殴られたことで記憶障害に陥り、自分のことも家族のことも思い出せない状態になってしまい、「雨男さん」となって家族の知らないところで生きていた。
 
 記憶が無いので、自分が血だらけになっていたから他人を殺してしまったかもしれないと怖くて、警察にも病院にも行けなかったとのことだった。
 
 犯人は別件で逮捕されたのだから、その後の司法手続きはどうなったのだろうかと思わないでもないけれど、当時は被害者はそっちのけが当然の時代だったから、被害者側に何も知らせが無い(綿引さんからのお知らせは別として、公には)状態で、物語に出てこないのもまたリアルだ。
 
 ここがうまい設定だなと思うのだが、殺されてしまうと「完全な喪失」になってしまうが、そうではない。行方不明、そして記憶喪失という、2段階の「あいまいな喪失」があることによって家族は揺さぶられ続けるけれども、取り戻していく希望を持ち続ける。その過程が物語になっている。
 
 大黒柱の父親からの送金が失われたことによって、谷田部家はたちまちにして金銭的に困る。一時的には、友人からの支援があっても、継続的にはどうしようとなったとき、みね子が東京へと集団就職し、父の代わりとなって金銭的に支える。それが、父が記憶が戻らないながらも家に帰り、花卉栽培に乗り出す。家族の生計はみね子の送金に頼らなくても良くなり、みね子が送金から解放され、自由に結婚を決めたところで物語が終わった。
 
 プロポーズされたみね子は「幸せ者だな~私」と心から言っていたが、それまでに4年かかった。4年なら、かなりスムーズな例なんじゃないでしょうか。被害を「なかったこと」と形だけでも言える期間としては。
 
 もし、父親が殺されていたら、4年では済まない。それに、まずコメディタッチでは描けなかっただろうし、朝ドラだから、殺人は重すぎると判断されたのかなと思う。被害者側を描くにあたり、通常のドラマの被害者のように簡単に殺されてしまっては救いがないと、朝ドラを作る側は思ったのだろうか。
 
 テレビの中で、被害者側がこんなに丁寧に描かれることなどあまりない。大抵、被害者は、ドラマの冒頭で視聴者の気を引くためにショッキングに殺されて、主人公が事件解決やなぞ解きに乗り出すのだ。
 
 そこでは、被害者の物語が掘り下げられることはなく、あっても家族が泣き崩れてのお涙路線か、逆に罪を犯した者の悲しい過去として被害が語られて終わりだ。また、被害者が殺されても仕方なかったとか、加害者に同情が集まる要素としての扱いがされることも多い。普通の被害者側の実情や、家族に長く続く影響など語られることはない。
 
 それが、今回の朝ドラでは、被害者側に起きることを物語にしていった。しかも、理想的に周囲が支える、明るいコメディ。被害者だって、悲しいだけじゃない。それを視聴者も一緒に泣き笑いしてこられた。
 
 実際は、ちょっと笑顔を見せれば「不謹慎だ」とか「もう笑えるんだ」みたいに周りに言われてしまうとか、「そっとしておこう」と孤立させられてしまうこともある被害者だけれど、普通なんだよ、他の人たちと変わらないんだよ、特別の人が被害者になるわけじゃないと声高じゃなく示したところが素晴らしいと思う。
 
 それにもう1つ。被害に遭ったからこそ、日常の何気ないひとつひとつに幸せを感じる感受性が備わる。周囲の人の親切や温かさが深く分かるのだ。地味と言われようが、平穏な毎日こそが幸せだときっぱり言えるのだと思うし、周りもそれに気づかされるのだと思う。
 
 物語が進行していって、被害は最初の飾りだったのかな?と少し心配になっていたところ、最終回では、取りこぼしなくきちんと叔父さんが叫んでいた。「勝った」と叫びたいほどに、忘れられるわけがない家族の重い記憶であること。それが良く分かった熱演だった。「涙くんさよなら」って言いたいけど、完全にさよならできるわけでもないだろう。
 
 お父ちゃんは最後に、事件前の記憶を、かけらだけ思い出す。重箱を預けていたこと。全部を思い出さない設定がまた上手い。この「ひよっこ」を見て、被害者側に接する時に、じいちゃんみたいに「ゆっくりでいいんだ」とみんなが言えるようになって、「早く忘れて前を向け」と簡単に言ってしまう人が減ることを願う。