黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました

扁平上皮癌になった愛猫を、天にお返しした④

残る牙が上顎に刺さり、さらなる手術

 今、私は術後の亡き息子クロスケのために作った窓際の特別スペースに座椅子とコタツ(さすがに布団抜き)を置き、書斎のようにして、そこでこの文章を書いている。

 元々、窓際の角には息子のケージが置いてあった。その周辺に、50センチ四方のパネル式カーペット16枚を木の床の上に敷いた。息子スペースが底冷えしないように、だ。

 布団を4つ折りにして大判タオル等でくるんだ「ベッド」はこのスペースだけで2カ所作り、さらにケージの「1階」と、内側がボアでフワフワの△の形の猫ベッドも置いて中にタオル等を敷き、どこで息子がバッタリ寝ても大丈夫な体制。その窓に向かった一角がごはん置き場だった。

 ここに座っていると、かわいい息子の幻が見えるような気がする。

 思えば、7月31日の顎切除手術後の8,9月は息子も私たちも大変だった。前回書いた、10月1日に「口からごはん」に移行するまでには、いつも胃液を吐きやすい息子なのに、痰と言うか唾液の透明な塊が吐き出せなくて喉を詰まらせ、それを吸引して出してもらうのに大騒ぎした。

 喉の詰まりについては、「1年前の7月、愛猫に扁平上皮癌が見つかった⑤」でも触れたが、手術3日前の週末に「呼吸と意識レベルが下がっている」と急な連絡が来て、覚悟を決めて病院に向かったところ、息子は明らかに何かを喉に詰まらせていて、家族が口からずるずると芋づる式に透明な塊を引っ張り出し、それで息子は楽になった…ということがあった。

 あの時は、なんだー、びっくりした!と涙も引っ込んで喜びの方が勝ったものの、そんな簡単な処置もしてもらえないまま死ぬところだったじゃないか…と後から頭にきたのだった。

 後日、その話をしたので担当のS先生は息子の喉の詰まりを気にかけてくれるようになった。やはり、口からごはんを食べていないし、息子は下顎半分を失って口をちゃんと閉じられないから口も乾く。だから唾液が固まりやすいのかもしれなかった。

 いつもS先生は「あー、はいはい」と事もなげにあっという間に痰の吸引を済ませるのだが、S先生が不在でK先生に依頼すると、大仰な説明の上に手術並みの書類にサインを求められ、何万円も別に取られたことがあったなあ…。それで実際の吸引は別の先生が実施していたり。

 機会があるたびに私に妙な猫撫で声で安楽死の話をしたK先生は、息子クロスケはもう死んだものとでも思いたいらしく、何かを頼んでも本当にイヤイヤ、関わりたくない態度が目に余った。

 そのK先生に頼まなければならない事態に、残念ながら予想通り、なってしまった。

 専門医の手術によって息子の右下顎は無くなったが、残った半分の左下顎には、立派な牙がついたまま。そして驚いたが右下顎には何の再建もされなかったので、術後は右側の支えを失った左下顎が中央に向かってぶらぶらと変形するのだった。

 危ないよね、残った左下顎の牙がどう見ても上顎を傷つけてしまうのではないか、どうして手術の時に除いてくれなかったのか、残った左顎が右側に動かないようにしてくれなかったのは何故だろう、あれで大丈夫なんだろうか…等々と私は心配だった。

 そしてやっぱり… 8月20日の夕方17:40とカレンダーには記録があるが、クロスケが「あくん」と口を閉じた瞬間に目を見開いたのに気づいた。

 「痛ーい!」という表情に見えた。案の定、口から出血している。

 その日は、術後初めて大好物の「金のだしカップ」を口から与えたのだった。だから、息子も勢い込んで食べようとしたのかもしれなかった。傷をちゃんと確認したいが、息子は逃げようとするし術後の口を押さえて開くのも難しい。

 その後、何回か口から血が出たような気がしたのでS先生に口を診てもらったが、当初は傷が見つからず。ようやく上顎中央に大きな穴が開いているのが確認できたのは9月7日のことだった。

 首脇のカテーテル用の穴の膿み方が酷い頃で、カテーテルでの流動食投与も限界だろうから早く口からの食事ができるようにしてあげたくて、すぐに牙を取り除くようお願いした。

 その病院で歯科の専門は、K先生だ。頼みのS先生は内科だったと思う。S先生が頑張って頼んでくださり、K先生による息子の左下顎の牙を削る手術は9月10日に行われた。朝9時に預け、夕方6時に迎えに行った。K先生は朝も夕も姿を見せず、S先生が説明してくれた。

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2019/9/10 牙を削る手術後、帰宅してバッタリ。お疲れさま!

 術後の傷を守るため、息子はまたまた大きなエリザベスカラーを着けなくてはならない。翌11日には口から食べようとするも、痛いらしい。無理もない。でも、口から食べることを忘れていないのがうれしかった。

 13日からまた頻繁に呼吸困難が始まり、日に1度はゼイゼイ詰まらせて苦しんでいる。カレンダーにはいつもの「吐」に加えて「呼吸困難」と赤いマーカーの文字が連日並ぶようになり、たまらず19日に吸引をしてもらった。

 この日が確か、K先生が書類にサインを求めてきた日だ。K先生は、息子の吸引もせずにそのまま帰すつもりで言いくるめようとしてきたので、それでは困る、死んでしまう、吸引してくれと強く頼んだところ、K先生の剣幕はすごかった。

 しかし、頑張って良かった。吸引を経て翌日には息子の呼吸は楽になり、全体的に落ち着いた。「獣医の先生が言うのだから」と遠慮してはいけない場面だったと、息子を撫でながら自分を奮い立たせた。

 そもそも、K先生の言うままにバイオプシー(生検)を息子に受けさせてしまったのが運命の始まりだったと今も思う。

 検体を採取する際に患部の右下顎を骨折させられ、そこから内出血が続いたせいで転げ落ちるように貧血が悪化。命をつなぐには、どうしたって顎の切除手術を受けさせざるを得なくなり、そして牙を残されてしまったことでの再手術。牙も取ってほしいこと、切除する右下顎の再建のことについて、せめて最初の手術の際に確認しておくべきだった。まさかこんな形にされてしまうとは。

 全部、私がK先生の言うままに流され、しっかりしなかったから息子に余計な苦しみを与える結果になってしまっていたのだった。ただただ、耐えている息子に申し訳なかった。

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2019/10/6 色々と難題を乗り越え、後は回復するだけと思っていた頃

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