黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました

扁平上皮癌になった愛猫を、天にお返しした⑯

冷たくなっていた、息子の額

 ちょっと息子愛を爆発させてみる。つやつやと豊かな毛をまとった黒猫の息子クロスケは、プライド高く一筋縄ではいかぬ性格で、動物病院では「暴れん坊将軍」扱いだった。

 だけれど、私に言わせれば反抗心旺盛でありながらも繊細で思いやりのある、今でいうところのツンデレ体質が「沼」ポイントでパーフェクト。普段は世話係の私を「ウザイ」と見向きもしない勢いだが、ガス器具の点検にキッチンに入ってきた作業員のおじさんに対しては、おもむろに私の前に立ちはだかり、ニャー!と一声威嚇する男気もある。

 いやほんと、私を守る気満々としか見えなかった。男前だったな。

 日常的にシャーっと怒られてばかりいたけれど、私は構わずイイコイイコと撫でまわす。実はまんざらでもない息子は、毎日のように私が座るのをウズウズと待ち、膝上にぴょんと飛び乗って座る。そのまま私はパソコン作業に入り、ベッタリの下僕となって「猫かわいがり三昧」してきた。

 息子のビジュアルにももちろんゾッコン、首から上だけ語ってもパーフェクトだ。

 ぴょこりと生えた両耳、丸みを帯びた後頭部。「横顔が決まってるね」と親バカ丸出しでいつも褒めていた、シュッと高い鼻筋。「狭い」と形容される定番の愛らしさ満点の額。ひとつひとつのパーツが、どうしてこうも完璧な出来なんだろうと思ってきた。

 それだけでは当然終わらない。立派なヒゲの生えているぷっくりした口元も可愛らしかった。顎の下をコチョコチョすると、「もっと」と言うように目を閉じて顎を突き出す仕草も・・・語り出すとキリがない。

 透明な半球体の輝く瞳には、宇宙に吸い込まれるような気分になって、いつも近くから飽きずに見つめていた。

 クロスケの瞳は、中央寄りがうっすらピスタチオグリーン、周囲が黄色みがかっていた。ずっと、この瞳を見つめていたかった。

 2020年2月4日火曜日。立春、大安の朝だった。

 私が目覚めたのは5時頃だったように思う。昨夜寝た時と同じポーズで左腕に横たわる息子の後ろ姿が目に入り、ちゃんと布団にいることにまずホッとした。そして、息子から腕に伝わる温かみを感じながら起き上がり、顔を覗き込んだ。

 言葉を飲んだ。息子は息を引き取っていた。何かに驚いたような表情で、目は見開かれたまま、両手両足が冷たくなっていた。

 いつも撫でていた額に触れると、あり得ないくらい芯から冷えていた。

 え?じゃあなんで温かいの?生きてるんだよね?・・・一瞬混乱したが、ああそうだ、背中のホカロン、とすぐに気づいた。息子が寒くないように、この頃、特に夜間には、服の上から背中に小さなカイロを貼っていたのだ。

 セーターの上からのホカロン周りだけが、温もりがあった。それをすぐ剥がし、おむつも外した。夜にトイレに行っていたから、おむつもほぼきれいだった。

 既に、息子の両手両足はピンと固くなってきていた。死後硬直なのか?

 そんなに前に逝ってしまったのか、とショックだった。じゃあ、寝てからすぐ? 眠っている意識の底で微かに息子が動いたように感じた、あの時が旅立ちだったのだろうか?

 隣にいながら気づいてやれなかった。笑っちゃうぐらい、私は爆睡していた。

 前夜、恵方巻を食べながら、息子の長生きを祈る代わりに穏やかに生を全うしてほしいと初めて祈った時、曇りなく輝くまなざしでこちらを見返していた息子。あれから、たった数時間で逝ってしまったことになる。

 私たち家族の心の声が届いたのか。あの時「そうなんだ、もう頑張らなくていいんだね」と理解したのだろうか。もうすぐ八方塞がりの年が終わるよ、と言い聞かせていたから、きっちり立春になるのを待ってから旅立ったのか。

 とにかくありがとう、本当にありがとう、と息子への感謝の気持ちで一杯だった。

 こんなにも、たくさんの愛情をもらった。私は子どもの頃にぼんやり考えていた「将来の夢」=窓際で猫を撫でて暮らす、をクロスケにはたっぷり叶えてもらった。

 にゃんこ1匹に、ここまで人生を豊かに、幸せにしてもらえるなんて思わなかった。毎日、とても楽しかった。これ以上の幸福は、もう望めない。

息子をおくるみにして安置 

 家族に声を掛けたら、私とクロスケはまだ寝ていると思っていた、と家族は言った。そして息子の名前を呼びながらひとしきり息子を撫でた後、私の腕枕で逝って良かった、と言った。

 息子が死んでも、家族はいつも通り早朝に出勤しなければならない。私も、泣いてばかりもいられない。

 まず、息子をきれいに拭き、大きめの保冷剤を抱かせてからフリース毛布でおくるみ状態にした。冬だから、とは思っても、室内は暖房で暖かい。息子から完全に温もりを奪い、死を確定的にする行為には大きな抵抗感があったが、息子を傷ませてしまう訳にもいかない。

 毛布を巻く際には、息子のピンとまっすぐ固まっている手と足を少しずつ折り曲げて、自然に抱え込む形に整えた。力を入れ過ぎて折れてしまわないか心配だった。

 手術以来首に巻くようになっていたネックウォーマーは外し、着ていたセーターはそのまま。これは、年末に息子のために買った物だった。

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息子が最期に着ていたセーター。冬になって買ったばかり

 毛布は、やはり息子が寒くないようにと冬に入るにあたり購入した。くるくると巻かれて、息子の形の良い両耳と頭だけが、少しのぞいて見えた。棚の下段を整えてそこに安置、寂しくないように小さなぬいぐるみ等と、花を置いた。

 クロスケの目は、閉じようか迷ったが、そのままにした。濁りのない、相変わらず美しい息子の瞳。もし、目を閉じて亡くなっていたら、悲しみは余計に深かったかもしれず、もう一度、見せてほしいと必ず心残りの種になっただろう。そんな気がした。

お弔いの場所を探す

 さて、お弔いはどうしよう。息子を、ちゃんと送ってあげたかった。

 2週間前、お留守番のクロスケの面倒を見てくださった猫友さんに、飼い猫を葬ったご経験を伺うことにした。LINEを送ったのは、まだ8時前。朝から申し訳なかった。

 そうだ、と思い出し、やはり飼い猫を見送った姉にも相談のLINEを送った。打ち合わせが終わったら電話すると返事が来た。

 猫友さんは、親身になって相談に乗ってくださり、私の近くに住む知人にも連絡を取って情報を仕入れてくださった。猫友さんの猫さんを葬った霊園①と、その知人の猫さん2匹を見送った寺院併設のペット施設②と、そしてLINEの返事が来た姉の愛猫を葬った施設③の3カ所で迷い、②に決めた。

 電話を入れると、予約はすぐに取れた。翌5日午後3時だ。こうやって、自分が絶対したくなかったことを自分でどんどん進めていき、息子とお別れすることがすんなり決まってしまった。

 昼過ぎ、仕事の打ち合わせを終えた姉から電話が入った。子どもの頃のように、姉に甘えて1時間余りも泣きながらしゃべった。