黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました

扁平上皮癌になった愛猫を、天にお返しした⑰

悲しみをせき止めない

 2020年2月4日未明、息子は息をするのを止めた。翌日に火葬を予約してしまったから、その日は形ある息子との最後の1日になった。

 明日には、全身愛らしさの塊である息子の姿形が失われてしまうと思うと、現実感が全くなかった。本当はずっと撫でていたいのに。

 保冷剤を抱かせ毛布で巻いておくるみにした息子。安置したのは、以前はテレビ台として使っていた棚の一番下の段だ。そこは、家の作り付けの息子用ステップから息子が直接ぴょんと飛び移って上の数段を歩き回り、時にはびろーんと伸びて、休憩がてら高い位置からリビングなど部屋を一望できる場所として使っていた。

 その棚は普段からの息子の居場所のひとつだったから、そこに息子を休ませるのは自然に思えた。

 かわいいかわいい息子。感謝で一杯、もう痛みや苦しみもない、完全に自由になっていると思うとうれしいが、寂しい。比べるものじゃないが、実父を失った時よりも泣けるし、圧倒的に悲しい。お父さんごめん。

 その父に、今、クロスケがそちらに行ったばかりだから、どうかかわいがってあげてねと祈った。娘は勝手なものだ。

 翌日の準備のあれこれを考えた。やはり、段ボール箱なのだろうか・・・それはやっぱり抵抗があり、おくるみのまま、息子をいつものカートに乗せて行こうと決めた。

 息子は2枚の毛布でぐるぐる。家族に花を買ってきてもらうよう頼んだ。後のことは実はもうよく覚えていないが、たぶん、息子の前に呆然と座り込んでいたのだろう。

 いつだったかは定かではないが、「悲しみをせき止めないで」という、いつもグリーフケアのワークショップでご参加の方たちにお伝えする内容を、どこかで家族にも伝えた。

 今、私たちは最愛の息子を失ったのだから、悲しくて当たり前。その感情を押し殺してフタをしてしまうと、後々良いことはない。

 悲しさのイガイガがフタの下で発酵し、怒りになる。それを我慢して我慢して抑え込んでいても、イガイガは必ず出てこようとしてフタが動く。

 ちょっとだけ出そうとしても、一度フタが開けばそれは難しい。地下のマグマが噴き出すように、怒りのイガイガがバーッと暴発し、自分だけでなく周りをも傷つける結果になってしまう。

 こういう時に、家族の中で傷ついているのは自分だけじゃなく、周囲もロスで弱まっているのだから、気持ちに余裕が無くて受け止められない。そんな時期に怒りを暴発させてしまえば、家族同士の関係性の致命傷にもなってしまう。

 だから、互いに異なるペットロスの悲しみの形があることをそれぞれが認め、無理にせき止めないようにしよう。悲しくて当たり前、だから悲しみにゆっくり向き合って、コントロールしやすくできるように持っていこう。そんな話をしたと思う。

 そして、ワークショップで使う資料の一部をプリントアウトして、家族にも渡し、自分でも読み返した。

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NPO法人レジリエンスでいただいた資料

 この資料は、傷ついた心のケアを勉強させていただいたNPO法人レジリエンスのもの。他団体のリヴオンのサイトからの引用だとの表記がある。被害者支援を学ぶ一環として、このレジリエンスでは勉強させてもらった。

 こうやって書いているブログも、どなたか扁平上皮癌の猫さんを抱える飼い主さんの参考事例(反面教師でも)の1つになればとの考えと共に、私にとってはグリーフワークの1つ。レジリエンスのお陰で、ゆっくり家族と互いの痛みを尊重しながら昇華していくことができそうだ。息子も少しは安心してくれるだろう。

青空に息子をお返しした

 猫友さんのお友達にご紹介いただいた寺院併設のペット供養施設には、車で30分もかからずに到着した。この2020年2月5日のことは、その翌日のブログ(青空にお返ししました - 黒猫の額:ペットロス日記 (nekonohitai.tokyo))でも書いた。

 施設に着くと、敷地には小さな動物たちのお墓が並んでいるのが目に入った。別棟の納骨堂らしきものもあった。建物入口の横には、2~3匹の丸々とした猫がいて、ごはんも置いてあった。

 その猫さん達に見られながら、息子を乗せたカートを押してスロープを上り、受付のある建物に入っていった。

 しばらく待ってから、隣の焼き場のある建物へと移動。そこで息子とお別れの準備をした。

 説明によると、痩せて小さな息子が跡形もなくなったら困るので、ある程度温度を押さえて焼くのだという。おくるみにしていたフリース毛布は、化繊でありお骨に張り付いて残ってしまうのでダメ。着せていたセーターも、同じ理由でダメということで、鋏を借りてところどころを切り、脱がせた。寒くないように、着せてやりたかったが仕方ない。

 ちなみに、このズタズタになってしまったセーターは、家に持って帰ってから、家族のリクエストで縫って形を整えた。しばらく家族の机の上にあり、折々に撫でていたようだった。

 さて、いよいよ、いかにもな焼却台に息子を寝かせなければならない。

 息子カラーの山吹色のバスタオルを敷き、その上に息子を横たわらせた。お花を上から散らし、枕元に好きなカリカリごはんやチュールをいくつかの紙コップに入れて並べた。そして、息子の回復のための祈願でいただいたお札も2枚。あちらで息子を守ってほしい。

 それから、息子クロスケが、一心に布団を踏み踏みする際に咥えていた夫のグレーの靴下と、夢中になってしゃぶりついていたスイス土産の小さな靴下(たぶん、キャットニップ入り)、ニャンコOKの温泉に旅行した時にホテル玄関で撮影してもらった唯一の家族全員が揃った写真を、クロスケに持っていってもらうことにした。

 見ると、全身「真っ黒クロスケ」な息子の中では唯一のピンク色をしていた愛らしい舌が、暗赤色に乾いていた。それを見て、まさに往生際が悪くなりそうだった私も、もう、ここにはいないんだ、ここを離れて天国に行くんだねと、気持ちの区切りがつけられた。

 これで、本当にもう姿ある息子とはお別れだ。ありがとう、クロスケ。

 その日は、快晴。青い空に、煙となった息子が虹の橋を上っていくのが見えるかと思ったが、煙突を見ても、あまり煙らしい煙も見えてこない。かすかに蒸気の流れが見えるか・・・という程度だった。

 そして、1時間ほどで、息子は、か弱いお骨に変化していた。

 しっぽの骨は、漫画でよく見るような骨の形をしているパーツが、連なっているんだと知った。胸のあたりが青緑に一部染まっていたのは、最期の1週間の点滴の影響らしいと聞いた。そうなのか。

 股のあたりに小指の先ほどにも足りない塊が見つかったが、これは排便できず残ったウンチ。2月に入ってからはお通じが無かったが、哺乳瓶で飲ませたごはんは、こんなにも小さな固まりに集約されていた。

 それっぽっちで、息子が生き続けるエネルギーとして足りるわけはなかった。

 あまりにマジマジと見ていたせいか、「持って帰りますか?」と聞かれてしまったが、さすがに断った。息子のお骨で十分だ。

 生涯の最大体重は6.6kgを誇った息子が、こんなに軽いお骨になって家に帰る。車の中で膝に乗せたら、ずいぶんとコンパクトだった。

 もう、痛みも何の制約もない。具体的な姿形を失った代わりに、どこでも自由に飛んで行ける。どんなに暴れん坊将軍と呼ばれても、うちでは天使扱いだった息子は、いつかは天にお返ししなければならなかった。その時が来たのだった。

 でも、呼べば、空からあっという間に降りてきて私の膝にちゃっかり座っているはずだ。見えずとも、息子はきっと一緒にいる。今も、ずっと一緒だ。

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煙突からは何も見えなかったが、息子は天に昇って行った(2020/2/5)