黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました

地震と息子

 地震があった。ニャンコたちがとても心配だ。イカ耳になったり、シッポを膨らませて警戒する猫がいるかと思うと、腰が抜けたニャンコもいるようだ。怖かったのだろう。家族のところで飼っている4匹のニャンズは、姿見が倒れ物が落ちた部屋の中を、恐怖に駆られてワーッと走り回っていたそうだ。

 うちの亡きクロスケも、地震後にはとてもビクビクしていたから、それを思い出している。東日本大震災の時には、私は少し離れていたもののちょうど家にいて、息子がひとりではなかったのが本当に良かった。息子がコタツの中で寝てくれていたのも助かった。

 あの大震災の揺れは長かった。なかなか息子のそばに行けなかったので相当怖かったらしく、後から見たら、コタツの敷布に息子がしがみついていた部分が冷や汗で濡れ、しっかり4つの肉球の跡が染みになっていた。

 私はキッチンにいて、テーブルの下に飛び込んだ。

 キッチンでは、揺れる方向がぴったり合ってしまったらしく、オープンな食器棚からかなりの数の食器が、揺れの波が来るたび、タイルの床へと降り注いだ。床は傷だらけ、陶磁器は粉々だった。

 「あー、あれをクロスケが踏んだらケガしちゃう、大変だ」と思いながら、私はテーブルの脚をつかんで一緒に跳ねるように揺れて、為す術もなく食器たちの落下を見ていた。揺れが収まってからは一番に床の破片を片付け、それから息子を探してコタツにいるのを見つけた。

 あの震災は、しばらくの間は余震続きで、テレビや携帯の警報が鳴ることが多かったように思う。息子は警報のせいでビクビクと神経質なまま。私も、めまい持ちだったから何となくずっと揺れているような、船酔いが続いているような状態になった。

 それで、その年の春休みの家族旅行は関西に足を延ばした。それが大正解だった。

 息子の安心の場となっていたコタツも持参することに決めたので、旅館では驚かれてしまったが、まずは家族全員がゆっくり眠って心身を休ませ、その後、忍者屋敷やお城巡りを満喫した。1週間近く同じ宿を拠点に関西にいたおかげで、息子も含めてみんなが落ち着き、それから帰ることができた。

 クロスケはあちこちに旅行に行ったが、あの関西旅行は、クロスケが行った旅の中では一番遠距離だっただろう。

網戸が無かったら

 今、地震が徐々に増えてきているように思うので「南海トラフか」と思うと不気味だが、東日本大震災前にもかなり揺れた地震があり、ヒヤリとしたことがあった。

 あの時、網戸が無かったら、息子は2階の窓から飛び出してしまっていたのではないか。その時いたのは親戚宅で、窓側の建物下は崖だった。

 地震だ!と揺れを感じた時に私も同じ部屋にいたので、クロスケは明らかに私の方に飛んできて抱きつこうとした。私も「クロスケ!」と名前を呼んで、息子を抱っこしようとした。

 けれど、その時、隣にいた幼い甥が「怖い!」と言って私に抱きついた方が早かったのだ。

 (ああクロスケ!)と内心では思っても、もちろん、甥を振り払うことなどできるわけがない。私も甥を抱きしめ返して「大丈夫だよ」と守りつつ、息子のことは目で追うしかなかった。

 甥が私に抱きついたのを見た息子は、一瞬びっくりしたような目をしてからクルリと方向転換、慣れない親戚宅で行く手に迷った挙句、開いていたように見えた窓に向かって走り出し、バーンと大きな音を立てて網戸に衝突した。

 その場にいた一同が今度はその音に驚いて、「戸を閉めてください!」と叫ぶ私の声に応えて、クロスケを逃がさないように動いてくれた。

 あれは本当に怖かったけれど・・・今思うと懐かしい息子の思い出だ。あの後、自宅に戻る車の中で、抱っこされていた息子はかなりホッとした顔をして甘えていた。

 あのとろけるような息子の顔を、いつの日かまた見たい。