黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました

「がまんが足りない」のではなく「人権」の問題

 昨年暮れ、内閣府男女共同参画局に「東日本大震災後の女性の暴力被害防止に向けて」と題した提言書を、「災害時の性暴力・DV防止ネットワーク」が提出した。その提言書をまとめる手伝いをしたが、その中で「東北地方では男尊女卑の文化が根強いので、被害者側である女性が忍従を強いられるとの訴えが被災者から聞かれた」「普通は嫁が我慢するだろと、仮設住宅ぐるみで被害女性に大きな圧力をかけている現実がある」との部分が、特に印象に残っている。
 
 さて、女性宮家を創設する方向での話が最近報道されている。現在の皇室典範では、皇族女子は婚姻により皇籍離脱となっているため、未婚の皇族女子が愛子さまと佳子さまのふたりになってしまった今、急がないと成人の皇族女子は婚姻により次々と一般人になってしまう。将来の天皇家を支える皇族がいなくなってしまうことになる・・・という危機感から、こういった話が出てきているらしい。
 
 ここで、女性宮家を創設する場合に、夫となる一般人も皇族にする案が元旦の読売紙面に掲載されていた。妻である女性宮家の当主とともに公務を行うことが考えられること等から自然な話だとして、「民間人の男性が皇族に加わる道が初めて開かれる」可能性について報道されていた。
 
 これについて、同紙では「女性宮家 夫の意思配慮を」という論考を掲載していて、興味を引かれた。つまり、一般男性が女性宮家当主の皇族女子と婚姻をすれば、皇族に列される代わりに重要な基本的人権が制約される。権利の制約はあっても、できるだけ意思を尊重する運用をするべきだ・・・という内容だった。
 
 一般国民でなくなることによってどんな基本的人権が制約されるかというと、参政権表現の自由、移住の自由、職業選択の自由への制約が考えられる。伝統的な皇室のあり方、憲法の趣旨からも政治的活動はできないことが想定され、会社の経営、株取引といった経済活動も無理だという。
 
 そんな中、女性宮家当主の女性と婚姻する男性には、皇室の一員として道徳的、精神的義務を負い、妻である皇族女子に寄り添い、公私ともに支える役割が期待されるのだという。また、女性宮家は一代限りにする場合も考えられるそうで、皇位継承資格とは別物での議論になるそうだ。
 
 ここまで見て、女性宮家当主となる皇族女子の方々の配偶者となる人を無事に得るのにはハードルが高いな・・・と感じると同時に、これまで女性が皇族になる際に、「意思に配慮しよう」とか「人権が制約される」という観点からの報道はほぼ無かったのではないか・・・と考えた。
 
 改めて書くまでもなく、上記で指摘されていた人権への制約というものは、民間から皇族に嫁いだ女性たちは皆さん経験されてきたことだ。それが、これまではメディアもお祝い一辺倒というか、「めでたい」というお祝いの空気の陰で、嫁ぐ人物の人権などは無視されてきたようなところがあったと思う。それも、「めでたい」のも、結婚するおふたりの幸せについてというよりも、天皇家が連綿と続いていく可能性が生じたという点で「めでたい」という、そんなところさえ感じた。
 
 実際には、外交官だった皇太子妃殿下が嫁がれたときに、これまでの妃殿下のキャリアを重んじての意思尊重という、そんな指摘をした人もあったかもしれない。が、結局、お世継ぎの話の陰で「大きなことではない」との認識で大勢は来たのではないか。そしてその後、妃殿下が適応障害であるとの診断が公にされた後に、それまで、妃殿下の「人格」が尊重されていないことがあった旨を皇太子殿下が述べられたと記憶しているが、そのご発言も「そんなことを殿下が口にするのは異例だ」とばかり捉えられてしまって、一般から皇族になる「環境」の変化は分かっていたことじゃないの・・・他にも皆さん我慢してきているんだから、妃殿下も我慢しなさいよ・・・という冷たい視線を、皇太子殿下と妃殿下に対して世間がさらに向けるという結果になったように思った。
 
 でも、立場が男子に逆転したら、どうだろう。こうやって女性宮家当主の配偶者を考える中で、「人権の制約」という、問題の本質にやっとスポットが当てられたのではないだろうか。
 
 冒頭で紹介した「普通は嫁が我慢するだろ」という地方が引きずる意識は、日本で最も長く続く旧家である天皇家をとりまく人々が、これまで持ってしまっていた意識なのではないか。その長い歴史を振り返れば、嫁などは何ほどのものでもない、次代に天皇家が引き継がれさえすれば、それでいい・・・と考えてきた人たちも、皇室に入る男性配偶者を想定することで、やっと妃殿下の苦しみを自分寄りの立場に引き寄せて考える可能性が出てきたように思う。寝込んだ嫁さんの代わりに家事や子育てをして、やっと何が大変なのかが分かった夫の話はいまだによく聞くが、立場の交換というのは問題発見のためには効果的なことだったりする。
 
 そう、これは「環境に適応できない本人」の問題ではなく、「人権が制約される環境」の問題なのだ。私は、人は環境を変えることができ、問題解決のためには環境をガラッと変えることが有効だと信じてきたところがあるが、その手法が通用しないとしたら、かなり精神的に行き詰まるだろう。そして、このような制約に対して、日本社会の中では女性よりも表に回って主体的に動くのが普通であると教えられてきた日本人男性の場合も、その精神は耐えられるのだろうか。
 
 はっきり書いてしまうと、このままの状況だとしたら、未来の男性配偶者が第2、第3の妃殿下のように精神を病むことにならないか心配だ。精神を病まずとも、配偶者である皇族女子に対して、うっぷん晴らしの暴力の刃を人知れず向けることにならないだろうか。被災地では、職を失った男性が妻に対して暴力をふるうなどDVのケースが増加しているという。嫁が我慢すればいい問題ではないし、皇族女子の場合は、公の立場にあるため、逃げ場もない。
 
 それに、皇位継承については議論は別に持たれるようだが、このように基本的人権を制約されるほど尽くしても、もし自分の子供には皇位継承資格が与えられないことになるのだとしたら?現在、婚姻によって一般人から皇族となった女性の場合よりも、男性配偶者にはきつい条件ということにならないだろうか。自分の子供が報われるのなら、たとえ自分自身が報われなくても・・・と現状を我慢する道さえないのだ。
 
 もっとも、世継ぎを生まねばならないというプレッシャーが無いことは良いことなのかもしれないが。
 
 皇室に入ったという環境自体を、皇族の配偶者が完全に変えることは無理なことだろう。でも、少しでも意思が尊重されるような環境が用意されるのだとしたら・・・しかし、そんなことが可能なのだろうか?可能ならば、皇太子妃殿下のために実践できていたはずなんだからと悲観的にもなるが、女性配偶者とはちがい、男性配偶者だからこそ本腰を入れて相当の変化がなされる可能性もあるとも思う。当然、女性配偶者の環境も同様に整えてもらいたいものだが。
 
 かなり以前、取材したイベントに皇太子妃殿下が来場されていたことがあった。会場に足を踏み入れたと同時に、すましていた和服のご婦人方が「きゃー!」と歓声を上げて大挙して駆け寄り、妃殿下は遠慮がちな笑顔で手を振り、頭を下げながら歩いて行った。アイドルを取り巻く大きな人波が、一瞬にして過ぎ去ったように見えた。妃殿下を「覚悟が足りない」などと非難する人ほど、この環境が一生続くことに耐えられるとは思えない。