黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました

ノルウェーの寛容さを語る前に

被害者に関することで、先週気になったことその2。
 
9月4日の読売新聞国際面に「ノルウェー 揺るがぬ寛容」と題したコラムが載っていた。書いたのは欧州総局の大内佐紀記者、昔の職場の先輩である。コラムは、今年7月に同国のウトヤ島で起きた乱射事件について書いている。この事件では、移民排斥を求める加害者によって、移民を受け入れている与党・労働党の前途有為な若者が69人も犠牲になっており、このような悲惨な大事件と無縁であるかのような印象のあった同国は揺れている。
 
しかし、「国際社会の良心」を自負する同国では、「社会は寛容であるべきだ」との理念を共有してきており、その理念をバックボーンに事件への対応で世界に一つの範を示したことは間違いないのだとコラムは言う。ノルウェー国民にノーベル平和賞をあげるべきとのメールが各国から舞い込むほどだとか。いったい何がそう思わせたのか。
 
コラムによれば、惨劇を生き残った1人は「事件で移民問題をオープンに話せなくなる風潮ができるなら不健全だ」と警鐘を鳴らし、犯行の数日後には、加害者の母親を思いやり、支援するグループもできたのだという。ストルテンベルグ首相は「寛容な社会、多文化主義を守り続けよう」と高らかに呼びかけた--ともコラムには書かれている。
 
それで…ここまで「被害者の周辺」の書庫をお読み下さっていたとしたら、続きに私が何を書きたいのかはお分かりかもしれない。
 
それで、寛容な社会を宣言するノルウェー政府は、被害者に対してはどのような支援を行っているのだろうか?残念ながら、被害者支援についてはこのコラムでは何も触れていない。事件数日後にして加害者の母親を支援するグループができているくらいなのだから、当然、被害者側については、それぞれの遺族に手厚い支援が行われているはずだろうし、生き残った被害者についても、心身両面のケアが怠りなく行われているだろうと信じたい。ノルウェーだもの。
 
その点については、後で関連記事を探して読んでみたいと思うが…前述した「当然、被害者側についても手厚い支援が行われているはず」だと、それが人間の情からいって常識なのだけれども、残念ながら日本ではそのようなことは長いこと、最近まで全然行われてこなかった。他国から頂いた民主主義だったせいか、その順番が逆になっているおかしさには気付かなかったのか、打ちすえられた被害者をそのままに、打ちすえた加害者を連れて行き、税金でもって養い続けておしまいにしてきたようなところがある。
 
今でも医療費支払いで悩み、医療機関にかかることをあきらめる被害者がいる一方で、国によって拘束されている加害者の医療費は国が税金で面倒を見ている。立派な医療施設で、保険もきかないから実費で、そうなると国税からの支払いも高額だ。
 
日本が今回のノルウェーで起きた悲劇から大いに学ぶべき点は、寛容さなどといった表面的な理念ではなしに、実務的な被害者支援の方ではないのか。このような多くの被害者が出た事件で、ノルウェー政府はどのように被害者だけでなく、傷ついた国民に向かい合っているのか。首相の高らかな呼びかけに耳を傾けるには、まず被害者に対する支援が十分に行われているはず。そうでなければ「寛容な社会を守り続けよう」と言われても、国民は虚しさを覚えるだけだろう。
 
大内記者には、そちら関係の記事も期待したい。