黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました

それでも、生きてゆく

既に旧聞に属するが、管制官がブログに管制塔内の写真をアップするなどしていたとの報道があった。知人に見せたかったのだという。ブログが不特定多数の人の目に触れるものだという怖さを、まったく考えていなかったということなのかもしれない。
 
公に向けて文章を書くことの怖さというものを、ブログを書いている人で自覚している人はどれくらいいるのだろうか。私は怖くて仕方ない。新聞社時代は、デスクを始め複数の目でミスがないかをチェックしてもらえた。それでも、記事を書き、それが掲載された日は、気付かぬところで何かしでかしていないか、苦情が来るのではないかとひやひやし、震えていた。
 
しかし、ブログは自分一人で全責任を負って文章を書かねばならない。こんなに怖いことがあるだろうか。だから、今回始めるまではなかなかブログを書く気にはならなかった。では、なぜそれでもブログを始めたのか・・と問われれば、それでも伝えたいことがあると思ったからだ。
 
さて、フジテレビで放送していた「それでも、生きてゆく」の最終回を見た。放送開始から何度も見そびれてしまったので、まっとうな感想は書けないかもしれない。でも、被害者家族と加害者家族を描いているドラマとして、やはり何か書きたくなってしまう。
 
まず、被害者にしろ加害者にしろ人間は千差万別なのであり、ドラマでのこの描き方は正しいとか間違っているとかは言えない。けれども、日ごろ加害者側のトンデモ家族の話を耳にしているので、思わず感じてしまうのは、こんなに真面目に被害者側に対応しようとする加害者家族がいるのかな・・・という点だ。
 
以前、日本テレビで放送していた「アイシテル」もそうだったが、加害者の家族は真っ当に生きている人たちとして描かれ、被害者側に真摯に謝罪する設定になっている。だからこそ、加害者家族を憎めずに被害者側はよけいに苦しいのだと言いたいのかもしれない。反面、そんな加害者家族だからこそ、被害者側は心の中の波風を抑えつつ、普通に接することができるようになっていくのだろう。
 
最後に、瑛太演じる主人公が、15年前の事件当時に借りっぱなしだったビデオの存在を思い出し、返しに行く。加害者の妹である満島ひかりとの交流を通じて、妹が殺された恨みや苦しみを越え、彼に15年ぶりに日常が戻ってきたことを示すシーンなのだろう。その前に、満島ひかりの側が否定したが、瑛太は、妹を忘れることもできるかもしれないとも口にしていた。
 
こういう風に、被害者側が「赦し」を与えたと見えると、周囲の人間や視聴者としてはホッとするものだろう。「事件を忘れないで」と言い続ける被害者はなかなか理解されないような傾向が人情的にあるように感じるけれど、周囲の人間がホッとしたいからといって、「加害者を赦せる人間は尊いんだ」とか、「赦せるようでなければいけないんだ」とかの見方を被害者に押しつけるのは、しかし、違うだろうと言っておきたい。
 
赦しを被害者から引き出せるかどうかは、加害者側次第だ。「加害者の誠意なんて所詮1カ月程度のもの」というセリフが農場主からもあったが、真面目に真摯に、ずっと努力を続けてこそ、被害者の心がほぐれることも、まれにあるかもしれない(ずっと、ほぐれないかもしれない)。命を奪うとはそういうこと、また、植物状態もそうだが、それだけの取り返しのつかないことをしたのだということが、まず前提として厳然とあることを忘れてはならないだろう。
 
最後にもう一つ。満島ひかりが兄の犯行の贖罪として、意識不明が続く被害者(佐藤江梨子)の、幼い娘の面倒をみることを決意し、被害者側にお願いして被害者の実家の農場に住み込む設定になっていた。瑛太のセリフにあったように、なぜひとりで兄の罪を引き受けるのか、美しい妹よ、と視聴者は思ったろう。でも、実は引き受ける側の被害者家族の方が、よほど大変な思いをしているように思う。煮えくりかえるはらわたを、どうコントロールするのか。日々、加害者を連想させる人を目にしなければならないことほど、きついことはないのではないだろうか。
 
満島ひかりと、彼女になついた孫娘の2人の姿を見るたびに、農場主は思うだろう。ああ、なぜここにいるのが我が娘ではないんだ、と。孫娘が成長するたびに、横にいるのはウチの娘のはずだったのに、誰だ、娘を植物状態にしたのは…と思うはずだ。そして、娘・佐藤江梨子が見たかったはずの孫娘の成長の姿を見ているのがほかならぬ加害者の妹・満島ひかりだったと思いだし、そのたびに胸がかきむしられる思いに襲われるはずだ。
 
そんな思いをしてまで被害者側が満島ひかりを受け入れても、彼女が抱いている思いは「真面目に生きたい」という、被害者側からすればどうでもいい、ナルシズムに満ちたものだ。彼女の「私ってば真面目に生きてるよね、頑張ってるよね」という自分に酔っているかのような手前勝手な視点・思いを満足させるために、被害者側は犠牲を払わされているような気がする。
 
大竹しのぶにしても、息子・瑛太満島ひかりを好きになったようだったから、彼女を受け入れる気になったりしたのではないのかな…満島ひかり瑛太の思いを宙ぶらりんにするのだったら赦さない!と思うかもしれない。ま、ここらへんは見そびれた部分も多くて、何とも言えないのだが。
 
思いつくまま書いてみたが、被害者家族や加害者家族の日常をドラマにするには困難さがあっただろうと思う。ひとつの事件が、被害者の周囲に波紋のように広がり、家族全体を壊すことを示していた点は、評価していいのではないかと思った。被害者には、被害者になるかならないかの選択肢も示されず、被害者にされてしまうものだ。しかし、加害者には加害者になるかならないか選択できる。このドラマの家族の苦悩を見て、みなが加害者にならないことを選んでほしいと思う。