黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました

被害者が教えてくれること

 自分でも、最近は涙もろくなったものだと思う。埼玉県警の音楽隊の奏でる「おひさま」メインテーマを聴きながら、どうにもこみあげてきてしまって、隣の席の人には分かってしまったかな・・・と思った。確か、平原綾香の歌っていた歌詞には、あなたは私の希望であり、奇跡だといった内容があったと思う。歌詞抜きの楽器での演奏ではあったのだけれど、その演奏の直前にあった犯罪被害者遺族の講演のおかげで、余計にしみじみとその曲が脳裏に響いたのだろう。
 
 22日にさいたま市で催された「犯罪被害者支援県民のつどい」に行ってきた。ご縁があってご案内を頂き、20年以上前にもなるが、新米記者だった私を育ててくれた埼玉県民には足を向けて寝られない私としては、喜んで懐かしい浦和に伺った。
 
 前述した県警音楽隊のミニコンサートも良かったし、命の大切さや被害者支援に関しての小学生や中学生の感想文の表彰式もあり、ロビーでは「ミニ・生命のメッセージ展」といって、犠牲者の等身大のパネルと靴が飾られた展示もあり、温もりを感じる良いつどいだった。
 
 その中で、メインの基調講演をされたご遺族の話は、周囲の接し方、支援の難しさを改めて教えてくれたように思う。
 
 会場入口で配られたつどいの資料の中には、「被害者等への支援で一番大切なのは、周りの人の理解です」と題されたパンフレットがあり、被害後にはどんな状態になり、被害者には何が必要で、周囲が被害者に対してできることが説明されていた。
 
 よく、「そっとしておこう」と本人の声も聞かずに周りが勝手に判断してしまったり、自分の言動で二次被害を与えてしまうことが心配で、被害者や遺族を避けてしまったり遠巻きにして噂をしたりする場合があり、結局は被害者や遺族がご近所で孤立させられ傷つけられることにもなっていた。だが、パンフレットにあるように「できること」を説明して広めていけば、被害者が地域で生き易くなる事につながるはず。「これはやってはダメ」と言うばかりでなく、「こんな言葉・支援がうれしかった」という実例を紹介することが必要だと以前から思っていたので、私としては、これは良いパンフレットだと考え、座席で読んでいた。
 
 「話を聞いて、大変でしたねとねぎらってくれた」「そんな風に感じるのは無理もないことですよね、と言ってくれた」「がんばりすぎないで、身体を大切にしてねと体調を気遣ってくれた」「自分の考えを受け入れ、尊重してくれた」「買い物を申し出てくれたり、おかずを届けてくれた」――良い例として挙がっていたのは、こういった内容だった。
 
 ところが、三人の娘さんのうちの次女を犯罪で亡くしたご遺族の父親は、基調講演でこう言っていた。「多くの人が、思いやりのある言葉をずっと掛けてくる。それがつらかった」「自分の優しさを、伝えないでください」と・・・優しさを伝えるよりも、耳を傾けて寄り添って、と。
 
 スーパーの中のテナントで出店していたご夫婦は、次女を亡くしたからといって仕事を止めるわけにはいかなかった。まだ三女は高校生で、老いた母もいて、残された家族の生活のために、葬儀後3日でこのお父さんは仕事に戻ったそうだ。お母さんの方も、半年後には復帰した。そのお母さんに対して、来る日も来る日も、周りがやさしい言葉をかけ続けて、それが必死に働いているお母さんをかえって追い詰めてしまったという。
 
 「妻が2年後に仕事を止めたいと言い出した」「妻が、段々とダメになっていくのが分かった」ので、結局、仕事は止め、お父さんが1人でアルバイトを始め、三女には大学進学はあきらめてもらったそうだ。
 
 事件から9年が過ぎても、その日を忘れない。何年経ってもフラッシュバックしてくる。9年間がゆっくり流れ、1か月が過ぎたぐらいにしか感じられない・・・と、このお父さんは言っていた。頭では犯人が悪いと分かっていても、娘が死んだのは自分のせいだと自分を責め続け、犯人を恨む気持ちが湧かない程だったらしい。奥さんの方も、何があっても、100%次女のことを考えている・・・と、つい最近もそう言っていたそうだ。
 
 そんな状態が続くご夫妻は、周囲がやさしさを言葉にして訴えてくるたびに、事件当時に引き戻されて、悲しみのどん底に落とされる思いを味わうのだそうだ。頭では周りの人たちが自分たちを思いやり、やさしく言ってくれているのだと、それも理解できていても、心には届かない。ただ、苦しみが続くだけなのだという。
 
 ああ・・・そうだよね、周りが沈黙を我慢できないんだ。自分はこう思っているんだと伝えられない状況に、周囲の人間が耐えられないんだ・・・と、我が身を戒めつつ、思った。「大変でしたね」と言ってしまったら、言った側は自分の誠意を見せられたつもりになって一安心だろう。でも、相手が望まない時にもその話題に放り込むことになるわけで、そんな独りよがりの安心を自分が感じるだけでいいわけはない。
 
 先ほどのパンフレットでは「話を聞いて、大変でしたねと・・・」と書いてあったので、いきなり「大変でしたね」と言って、事件に話題を振れと言っているわけではない。まず沈黙に耐えて、相手が事件について話したいようだったら話すので、その言葉に耳を傾け続けて、その挙句の「大変でしたね」だったらまた意味が変わるはず。でも、そこまでの説明がパンフレットに書けるはずもないので、いきなり「大変でしたね」と言えばいいのね、と誤解する人も出てきそうで、怖い。
 
 「支援とは、難しいですね」と、このお父さんも言っていた。
 
 いつもお付き合いいただいているご遺族・被害者の方たちを含めて、こうやって被害経験を直接聞かせていただくたびに、何かしらハッとさせられることがある。忘れっぽい私が、勉強させていただいて既に知っていたはずのことを、思い出させてもらうことがある。それは、パンフレットを読んだだけではやっぱり分からないことだったりする。「やさしさを伝えないで」は、心に残る言葉になった。限りある命の大切さ、家族の大切さ、そして、自分が生かされている意味を問い直す機会にもなる。
 
 11月25日からは犯罪被害者週間だ。その1週間だけでなく、各地で犯罪被害者やご遺族の方たちが、「もう自分たちのような思いをしてもらいたくない」と、貴重な経験を話してくれる講演が頻繁に行われることと思う。チャンスがあったら、ぜひ足を運ばれてみては・・・とお勧めしたい。