黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました

ハートバンド全国大会にて

 犯罪被害者週間最終日の12月1日、「ハートバンド」という、全国の犯罪被害者団体がゆるくつながったネットワークの全国大会にお邪魔してきた。毎年ぜひにも参加したいと思っているのだが、昨年はどうしても出られず、かなり残念だった。今年、また懐かしい方たちのお顔を見られたのが、支援者の末席にいると信じたい私としてもうれしかった。
 
 それなのに、寒さからか急に喘息の発作が出てしまって、懇親会をあきらめたのが悔やんでも悔やみきれないというか・・・あーあ、だった。ご挨拶をしたい人・話しかけたい人はたくさんいたのに、今にも咳が束になって出てきて止まらなくなりそうで、柄にもなく沈黙を強いられた。まったく、困ったものだ。
 
 さて、総花的な話になるのをご容赦いただきたい。大会第一部は、「被害者の声」として遺族3人が登壇し、それぞれの事件とそれによってもたらされた嵐のような日々の経験、そこから考えることなどをお話しされた。
 
 3人のお話は、どれも被害に遭っている側がなんでこんなに重い負担を負わねばならないのかと考えさせる内容だったが、特に「遺族1年生」とご自身でもおっしゃっていた、京都・亀岡市の集団登校の列に無免許少年の暴走車が突っ込んだ事件のご遺族は、まだ心の傷がぱっくりと開いたままで、その傷からしたたる血が目に見えるようだった。
 
 初めて知ったが、切開されて心臓マッサージを受けていた娘さんの心臓を、臨終でもあきらめきれずにご自身でもマッサージを続けたそうだ。その、かわいい娘の生の心臓の感触が、まだ手に残っているとおっしゃっていた。
 
 私は「壮絶な」という単語が軽々しく使われている文章を見ると、白けてしまうことがあるのだが、これを壮絶な体験と言わないでどう言ったらいいのかと思う。人生を生きてきて、それまでの平穏な毎日からは想像を絶する、拷問の極みのような体験だったろうと思う。
 
 このお父さんは、ネット上で激しくバッシングもされたそうだ。だが、バッシングをした人たちは、遺族がこんな生き地獄のような経験をしているとは、思いもよらないのだろう。そして、自分は絶対被害に遭わないと思い込んでいるから、バッシングなど、うかつにもできるのだろう。
 
 でもね。自分自身がいつ被害者になるかは、人間は選べない。選べるのは、加害者になるか、ならないかだけだ。過失犯でさえ、まっとうな注意をしていさえすれば、避けられるケースが多いのだ・・・といった発言も、会場からはあった。第2部の「車座トーク」では、参加者が思う存分・・・と言うには、1人あたりの制限時間が2分半で大変だったかもしれないが・・・語り合う場で、その発言のような、気になる指摘がいくつもあった。
 
 裁判員が、裁判官に任せておけばいいような条文解釈に血道を上げて、肝心の社会への影響を市民として考えられていない現状がまず1つ。裁判員を味方につけようという話も出たが、公判に臨む前に被害者理解のガイダンス講座みたいなものを受けるべきとの話は、特に偏見を抱かれやすい性犯罪を想定して、私もそう思っていた。被害者学の重要なところだけでも、分かっていてもらいたい気がする。
 
 次に、過失だって犯罪なのに、交通犯罪は「事故」と言われることで「犯罪ではない」という見方が社会でされてしまっていること。法律をつぎはぎして苦肉の策を繰り出している現状はナンセンス、「交通法」という独立した法律を整備するべきでないかという指摘は、ウンウンと頷くしかなかった。
 
 それから、娘さんが強姦事件に遭ったお母さんが、「もうボロボロです」と言い残し、翌日心筋梗塞で亡くなった話をある参加者が紹介した。被害者は、当事者1人だけじゃない。家族の人生が根こそぎ変わるぐらいの多大な影響を及ぼすものだが、「被害者の延長に、こういう人たちの死があるんだと偉い人たちに証明してもらいたい」とこの人は言っていた。もし、そういったことが証明できれば、被害に遭うということの広がり、実質が社会で理解される助けになるのではないかと思った。
 
 まだまだあるのだが・・・明日、早いのでこのへんで。また書きます。