黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました

続・ハートバンド

 被害者になるかどうかは、人は選べない…と書いたばかりだった。笹子トンネルで、12月2日の日曜日の朝に痛ましい事故が起きた。9人の犠牲者は、まさかその日に自分が命を終えるなどとは、思ってもみなかったことだろう。そして、報道を見て、自分も巻き込まれたかもしれない…と青ざめた人は多かったのではないか。
 
 それから、5日、まだまだ十分活躍を期待されていた57歳の中村勘三郎が亡くなった。人の命の儚さ、自分の人生に残された時間なんか実はそんなにないかもしれない事実を、そうやって亡くなった人たちが教えてくれる。
 
 人生で真にやるべきこと、人生を賭ける価値のあることをサッサとやらないと、間に合わないかもしれないのだ。「メメント・モリ(死をいつも思え)」というラテン語の言葉があるそうだ。自分がいつか必ず死ぬ存在であると頭にあれば、くだらないことに時間を使っている暇はないよな…と思えてくるのではないか。人の目を気にして自己を飾ってもつまらない時間を使うだけだから真摯に話そうと思えてくるし、人を押しのけて自己顕示欲全開の人を見ても、人生の時間の無駄遣いに思えて気の毒にもなってくる。
 
 そういう解釈でいいのかどうか誠にいい加減で申し訳ないが、メメント・モリは、ネガティブに聞こえてポジティブな言葉だったりするのかもしれない。
 
 私の場合、月並みだが病を得て、考え方に変化があったのかと思う。10年程前に不明熱などがいくつも重なって数年ほぼ寝たきりになり、発熱の原因を特定できない医者に詐病だと言われたり、見放されて入院を断られたりして、天井を見ながら「このまま死ぬのか」と度々ぼんやり考えた。記者も辞めざるを得なかった。
 
 回復後、生きている意味は何か、やり残したことは何か…と振り返って思い浮かんだのは、家族のことと、記者として接した被害者の人たちの苦境に十分向き合えなかったことだった。それで支援ボランティアをやりたいと思ったのだし、中立を捨てて「被害者の肩を持つ」と宣言してこのブログも書いている(ネコもね)。
 
 だが、忘れっぽくて意志の弱い私のことだ。だから「限りある人生、真の人生の大事のために生きよ」と教えてくれるのが被害者やその家族の方たちだと考えてみれば、今回もハートバンドに参加させてもらえたことには感謝したい。
 
 …ということで、やっと「また書きます」のハートバンド全国大会第2部「車座トーク」の続きを書こうと思う。
 
 まず、未解決事件でどこに犯人がいるのか分からない…と聞くと、また犯人が襲ってくるかもしれず怖くてたまらない話だが、その犯人を追いつめるための懸賞金を被害者が負担することについての話が出ていた。
 
 警察庁が実施している捜査特別報奨金制度( http://www.npa.go.jp/reward/index.html )という、公的な懸賞金制度があるが、それに家族が私的に上乗せしたり、または独自に懸賞金をかける場合を発言者はおっしゃっているのだろうか???と分からないまま話を聞いていたのだが、「なぜ、懸賞金を被害者が用意しなければならないのか」と、その参加者は嘆いていた。
 
 被害に遭った上に、無用な出費や労力を費やさなければならず、そういった被害者側の痛みや負担にはこの国はずっと無頓着だったわけだが、その懸賞金の手続きがまた、なぜか何度も警察に足を運ぶ必要があり、大変なのだそうだ。「何とかなりませんか」と、この方はおっしゃっていた。
 
 以前、他の被害者も、少し前まで元気に生きていた人をこの世から消すための膨大な手続きの中で、住民票などの書類が1枚たりなくて遠方の役所まで再度足を運ばねばならなかったことについて、「通常の場合だったら受け入れることができても、事件後に何日も眠れない状態で様々な手続きに忙殺されている自分たちには非常につらかった」と、こぼしていた。役所の中を利用者がぐるぐる歩かされるのが当たり前の日本。役所側の都合の良いようにセクション分けや位置が決められていて、利用者側には不便だったりする。そういったことが、打ちのめされている被害者には相当に堪える話なのだ。
 
 その不便さ辛さを和らげようと、被害者の窓口を作っている自治体が数は少ないながらも存在し、手続きや警察などの事情聴取など何やかやと窓口職員が全部被害者について歩くことは以前も書いたが、その1つの東京都中野区の窓口担当者が、「車座トーク」の「パートナー」として参加していた。
 
 そんな素晴らしい窓口を作るにはどうしたらいいのか、ひとつひとつ自治体に働きかけないとできないのか?という質問が、当然ながら会場からは出た。この職員は、様々な場所に行って「自治体にはこんな支援ができる」と中野区の例を自治体職員向けに講演して広めているのだが、以前、内閣府に聞いたら「市町村レベルに作れとは内閣府は言えない」と言われてしまい、東京都にも働きかけているが反応が鈍かったそうで、「私も聞きたい、どうしたらできるのか」と正直に思いを吐露していた。
 
 だが、続けて「当事者が必要性を訴えていくのが一番だと思う。当事者の発言が一番強いと私は思っていますので、国や都道府県、市区町村に言ってほしい」と呼びかけた。これには「被害者が意見を伝えていくしかない。声を上げていくしかない」と被害者からも賛同する意見が出ていた。
 
 これに異論があるわけではないのだが、被害者が声を上げるには武器が必要なのではないかと、聞きながら思った。被害者が手ぶらで役所に突撃し、「窓口を作って」とひたすらお願いして効果があるだろうか。少なくとも中野区が豊かでない財政の中どのように実践しているかを示す資料は必要だろうし、同じ自治体の中で議員を味方に付けることが必要だろう。そのためには、賛同してくれる人の署名を得ることが必要になってくるかもしれない…と思った。
 
 だから、少なくともハートバンドのホームページで①中野区の実践例資料と、②市区町村の議員に協力をお願いする場合の手紙例、③署名活動をする場合の呼びかけ文などのひな型の3つを、いつでも被害者がダウンロードできるようにしておくことを、個人的には提案したいと思う。
 
 さらに、窓口を作ることについては、被害者学の研究者からも「被害者が自分で訴えて行かないと変わらないが、誰かが一緒にやらないと。各地の支援センターは何をしているのか。一緒にやる、アドボケイトをするのが役割のはずだ」との意見が出て、会場から拍手が上がっていた。
 
 被害者を支援するセンターについては、民間団体と言いながら実際は県警の傘下にあり、一体として動いているではないかとの指摘も今回、会場からあった。残念ながら、どこかの県警の1セクションのような雰囲気があるなと私も感じているし、そんな官の香り漂うセンターが、アメリカの支援センターのように被害者と共に立ち上がれるのかは、はなはだ疑問だ。ただ、例えば各地の支援センターが加盟する全国支援ネットが立ち上がれば、もしかしたら…とも思う。
 
 まだまだ触れたいことがあるのだが、エンドレスになってしまうので、もう1つだけ書いておきたい。先ほどの研究者の方が発言していたのだが、日本の根本の司法制度が被疑者・被告人のためになっている点だ。
 
 国家に都合の悪い人間が不当逮捕されるなど、国家に痛めつけられていた被疑者・被告人を守るという発想から当初そうなったのは諸外国も同じことだったが、発言によれば、20世紀半ばで被害者の存在が再発見された後、とくにこの20年~30年で、諸外国では被害者のための司法制度に作り替えられてきているそうだ。
 
 日本では、刑事裁判への被害者参加制度などが導入されたが、それでも被害者に向いた施策は富士山の2合目~3合目といったところで、至るところが犯罪者のための制度になっている。最終的には、すべて被害者のための制度に塗り替えたいもの…というお話だった。
 
 う~ん。確かにアメリカの州憲法にはほとんど被害者の権利が書かれているのに、日本の憲法には被疑者・被告人の権利ばかりがうたわれていて、被害者のためと明示された条項は1つもない。憲法の改正を持ち出すと、すぐに9条の話にばかりなってしまうし、前途は多難だ。
 
 でも、被害者のための司法制度を実現するにはどうしたらいいのか、かなり頼りないし誰も私を頼りにしているわけではないと知っているが、私なりに考えていきたいし、話題にもしてみたい。できることは限られていても、何もしなかったら、何にもならないから・・・ね。