黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました

被害者への償いを忘れた加害者像に、違和感--「いつか陽のあたる場所で」

 3月3日、桃の節句の日の新聞を見ていて気になった記事が2つあった。
 
 1つは、視聴者からの放送についての投書を取り上げる「放送塔から」という読売新聞のコラム記事だ。この日は、NHKのドラマ「いつか陽のあたる場所で」についてだった。「被害者や遺族にも目を」と、私がここでいつもしつこく書かせてもらっている事柄がずばりと見出しになっていたので、へえ!と何だか驚いた。
 
 このドラマは、DVについて書いた時も取り上げたことがある。刑務所で知り合った2人の女性(上戸彩飯島直子が演じている)の、「過去の罪にもがきながら支え合い、前を向こうとする」出所後の歩みを取り上げていて、視聴者からは「罪を法的に償っても、社会復帰の難しさがわかった」と、「2人を応援する声」が新聞社へ寄せられているのだそうだ。
 
 コラムを書いたテレビ担当(さ)記者は、しかし、ネット上での「2人が犯した強盗と殺人は、どんな理由があれ罪。物語に共感できない」などの意見も拾い上げ、紹介していた。そして「このドラマでは被害者たちは問題のある人物として描かれる。彼らに強い同情は向かないだろう。でも被害者側が傷を受けるのは間違いない」と指摘して、「犯罪の加害者を描く物語だけに、被害者や遺族に全く目を向けないのには違和感を覚える。複雑な気持ちだ」とコラムを締めくくっていた。
 
 その通りだ。私も「他に彼女にどんな方法があったのか」と夫殺しを肯定するようなコメントがドラマの掲示板に多く寄せられるようなドラマには、やっぱり非常に違和感がある。このドラマの前に放送していた沢口靖子主演の「シングルマザーズ」では、DV夫を殺さずに自分が逃げて未来を切り開いたが、NHKは、それを併せて辻褄を合わせているので許してね!と言うつもりなのだろうか…。
 
 しかし、このコラム。ずっと声を上げずに我慢を強いられてきた被害者の人たちが、最近は声を上げるようになり、それが報道されるようになってきたので変化があるのは当然と言えば当然なのかもしれない。が、「被害者や遺族に目を向けて」との指摘が、普通に新聞のテレビ担当の記者(社会部の記者じゃなくて)によってされるようになってきたんだな…と感慨深い。被害者側の存在、苦しみが、やっと社会で意識されるようになってきたのだろうか。
 
 ドラマでの被害者というと、大体は主人公の謎解きのためにあっけなく殺され、主人公が謎解きのために訪問しても被害者側遺族は多少胡散臭そうであっても元気に質問に答えたりして、遺族が本来味わっているはずの苦しみなどは触れもされなかったりする。あるいは、加害者と被害者像が少しは描かれたとしても、海よりも深い事情があって運悪く犯罪をヒドイ被害者に対して犯してしまったという「薄幸の加害者」の姿が描かれることが、まだまだ多くないだろうか。
 
 そして、その場合、薄幸のヒロイン加害者に対して恨みを抱え続ける被害者側が、周囲の人たちの心を波打たせ、意固地でイケナイ存在のように描かれていたりする。
 
 以前、このブログで取り上げたこともある「アイシテル」も、今回の「いつか陽のあたる場所で」と同様、稲森いずみの加害者母ができすぎていて、一生懸命で、視聴者はみんな加害者側に感情移入して涙するんだろうな、と思わされる描かれ方だった。「それでも、生きてゆく」についても、加害者家族が被害者遺族に会いにいき交流を求めるという話だったが、それも、嫌がらせをやめてもらうために会いに行くという設定で…被害に遭った上に、どこまでそんな悪いイメージを背負わされるのか、被害者は…と思った。
 
 それで、この「いつか--」だが、「被害者の肩を持つ」と宣言している私は見た方がいいのかなと思いながら何回か見たのだが「これもやっぱり同じ路線か」と思い、実は途中で見るのをやめてしまった。
 
 ドラマの中では、彼女たちは好きになった人に騙されたり、DVの被害者でその被害に耐えかねて夫を殺したり…という事情があるので、被害者的な側面もあって、元からの救いようのない悪人なんかではないことは分かる。前述のように「深い事情がある2人」として同情的に描かれているので、これがフィクションでなかったら、「大変だったね」と言ってあげたい気持ちも、正直、全然ないわけではない。
 
 ただ、2人は、被害者側に対する直接の謝罪、償いはどうしたのだろうか。民事上は、犯罪という不法行為に基づいて賠償を求められるはずだが。それに、金銭さえ払えばいいというものでもない。被害者側が受け入れられるような謝罪を尽くす姿を(見逃したのかもしれないが)2人はしていないように見える。
 
 しかし、どうしてそんなに同情的にドラマは加害者を描くのだろう。そうじゃないとドラマにならないからか。「加害者だって大変なんだし」と、とんでもない被害を受けた側の被害者に、直接物申す人間がいるそうなのだが、こういうドラマを見ての影響なんじゃないだろうかと思う。
 
 私が実際に見聞きする加害者の中には、同情に値するそんな立派な加害者はこれまで全然存在しなかった。現実とドラマとの、このギャップはどう考えたらいいのか。刑事上の始末が付けば、償いは終わったと平気で被害者に言い捨てる加害者ばかりなのだが…。刑事裁判の法廷では、「一生償います」と裁判長に対しては殊勝に口にしても、判決後は態度が一変する。
 
 こういった加害者の言う「償い」とは、いったい何だろうかと思う。
 
 加害者が本当に謝罪して向き合わなければならないのは、裁判長ではなくて、被害者の方だ。被害者だけが、真の許しを与えられる存在ではないのか。被害者の心に通じるような謝罪をするために、知恵を絞るのも、加害者側の責任のうちだろうと思う。それこそが償いだろう。
 
 被害者への直接の償いを始めてもいないことをすっかり忘れて、自分ばかりが社会で苦しんでいると思っている加害者像…それが、皮肉にも、このドラマで描いている1つの真実なのかもしれない。
 
 この日、もうひとつ気になった記事が社会面に載っていた。「加害者へ賠償請求 代執行を」「殺人被害者遺族会、国に要望」との見出しがある。いかに賠償金を支払わないで逃げてしまう加害者が多いことか。民事で賠償の判決が出ても、本人に資力がないとか、本人が刑務所に入ってしまったとか、その他云々で支払われない。
 
 家族を失い、悲しんでいる暇もなく事情聴取や押し寄せる手続きに翻弄され、働くどころではなく、それでも子供達には食べさせなくてはならなくて…「社会復帰」には被害者だって大変な苦労がある。そんな被害者側の現実に、視聴者が無理なく気づけるようなドラマを作ってもらいたい。